天台宗

天台宗の歴史
天台宗は、中国で成立し、最澄によって日本に伝えられました。天台宗の教えは隋の時代に智顗によって確立されたものです。したがって日本の天台宗では智顗を高祖、最澄を宗祖としています。天台宗という名称は、智顗にゆかりの深い中国の天台山という山に由来しています。天台宗では『妙法蓮華経(法華経)』を根本経典とし、その教えを実践することを説きます。智顗はあらゆる仏教の教えをその説かれた時期と形式・内容によって統合し、五時八教という教学体系を作り上げました。その際、『法華経』を仏教の最高の教えであると位置づけたのです。
最澄は平安時代に遣唐船に乗って唐に渡り、天台山で天台の教えを受けて日本に帰国しました。日本にはすでに法相宗や華厳宗などの宗派が伝えられていましたが、天台の教えに従ってすべての衆生は成仏できるという説く最澄と、成仏に区別を認める旧来の仏教との間に対立が生じました。特に最澄と法相宗の徳一との論争は有名です。
また、空海の伝えた真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれます。最澄が唐に渡った時代は密教が盛んであり、最澄は密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考えました。しかし空海とは仏教観の違いから決別してしまいます。台密は円仁や円珍などの弟子たちによって大成されます。  最澄のひらいた比叡山延暦寺は以後日本仏教の中心地として興隆し、鎌倉時代には、法然・栄西・親鸞・道元・日蓮など、各宗派の祖師方を輩出しました。
天台宗の本尊
天台宗の本尊は「久遠実成無作(くおんじつじょうむさ)の本仏をもって本体とする」とされており、久遠実成無作の本仏は「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」を意味します。しかし『法華経』の中では、すべての如来・菩薩・明王・諸天のいずれも本尊であるとされており、結果的に天台宗では、特定の本尊を定めていません。一般的には阿弥陀如来・釈迦如来・観世音菩薩など菩提寺の本尊をまつる場合が多いです。本尊は仏壇最上段中央奥の須弥壇(しゅみだん)の上に安置します。本尊は木彫り、あるいは掛け軸でもかまいません。本尊の左右の脇侍(わきじ)は、向かって右側に高祖天台智者大師、左側には宗祖伝教大師をまつります。
天台宗の教え
天台宗の教えの特徴は、四宗融合による総合仏教であると言えます。四宗とは法華円教、真言密教、達磨禅法、大乗菩薩戒であり、天台宗の開祖である最澄は、唐において顕教の他に密教を相伝され、上記の四宗融合を特徴とする日本天台宗を確立しました。その意味で、最澄は日本に初めて密教を伝え人物であり、天台宗は別名「台密(たいみつ)」と呼ばれるようになりました。
それまでの南都仏教では、三乗説【声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)】の三つの乗り物があり、菩薩に乗った人だけが成仏できるという説をとっていましたが、最澄は、仏の教えは一つであり、そのような区別はなく、三乗即一乗であり、すべての人が仏の教えによって救われ、成仏できるという法華円教の教えを説いたのです。
また、天台宗のもう一つの特徴に「円密一致」という考え方があります。これは、法華円教のあらゆる現象そのものが真実であるとする「諸法実相」の教えと、天台密教としてのすべての根本は、不生不滅の阿字であるという「阿字本不生」の教えは同じものであるとする考え方です。
最澄は唐で中国天台宗、中国密教を学び、円教の一乗説をもとに、それらを融合させた総合仏教を確立しました。それこそが日本の天台宗なのです。
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