真言宗の歴史
真言宗は、空海(弘法大師)によって9世紀初頭に開かれた、日本の仏教の1宗派。空海が唐の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤として確立。天台密教を「台密」と称するのに対し、真言密教を「東密」と称する。真言宗の密教は東寺を基盤としたので「東密」と呼ばれた。
11世紀末、真言宗は新義真言宗と従来からの古義真言宗の2つに大きくわかれ、さらに新義真言宗はのちに長谷寺を中心とする豊山派と智積院を中心とする智山派にわかれ、古義真言宗は、仁海のたてた小野流と寛朝の広沢流の2派にわかれたのを皮切りに分裂をくりかえし、現在は高野山真言宗をはじめとして、山階派、醍醐派、御室派、東寺派、泉涌寺派など約30派をかぞえます。
真言宗の開祖【弘法大師 空海(774年~835年)】
774年、讃岐国(現・香川県)の多度郡屏風ヶ浦で生まれたと言われています。 15歳のとき、大学に入るために都に上りましたが、それだけに飽き足らず、その頃出会ったある僧から「虚空蔵求聞持法」という修行法を授かると、それを機に大学を出奔、室戸岬(現・高知県)など各地で修行しながら巡り、24歳の頃には初の著作である『三教指帰』を書くに至りました。
30歳のとき受戒し正式に僧侶となると、すぐに遣唐使船に乗り込み中国へと渡りました。
中国から帰国後、816年に高野山造営の許しを朝廷から得て、823年には都の東寺(教王護国寺)を与えられました。空海は高野山を僧侶の修行道場、東寺を民衆への教化の拠点と考えていたようです。ここに真言宗が成立したと考えられるでしょう。
死後86年経って、空海に「弘法大師」という諡号が送られました。一般的に「大師」というと「弘法大師」を指すほど、空海の名前は日本中に広まっていきました。
真言宗の本尊
大日如来とは釈迦如来や観音菩薩のような仏ではなく、全宇宙そのものであり、釈尊が悟った真理そのものが人格を帯びた仏、であるのが特徴です。ですから大日如来は薬師如来、地蔵菩薩、不動明王等の他の仏・菩薩・明王の本体である、と考えます。よって真言宗の寺院では様々な本尊が祀られていますが、結局は大日如来が祀られている事と変わらない、と考えるのです。
仏像の形は、宝冠などの豪華な装身具を身に着けた、菩薩のような姿の坐像として表現される。これは古代インドの王族の姿を模したものである。一般に如来は装身具を一切身に着けない薄衣の姿で表現されるが、大日如来は宇宙そのもの存在を装身具の如く身にまとった者として、特に王者の姿で表されます。印相は、金剛界大日如来は智拳印を、胎蔵界大日如来は法界定印を結んでいます。
仏像の形は、宝冠などの豪華な装身具を身に着けた、菩薩のような姿の坐像として表現される。これは古代インドの王族の姿を模したものである。一般に如来は装身具を一切身に着けない薄衣の姿で表現されるが、大日如来は宇宙そのもの存在を装身具の如く身にまとった者として、特に王者の姿で表されます。印相は、金剛界大日如来は智拳印を、胎蔵界大日如来は法界定印を結んでいます。
高野山真言宗 総本山
和歌山県伊都郡高野町高野山にある、高野山真言宗総本山の寺院。高野山は、周囲を1,000メートル級の山に囲まれた標高約800メートルの平坦地に位置し。百以上の寺院が密集しています。総本山金剛峯寺という場合、この高野山全体を指します。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である弘法大師空海が宗教活動の拠点とした寺であり、真言宗の聖地・弘法大師信仰の山として、多くの参詣者や観光客を集めている。2004年世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録。

-
- 2011/1/23
フュープラザ初笑い寄席 - 2010/9/25
て~ら寄席in本土寺 - 1/24
新春初笑い演芸会開催 - 1/14
お墓セミナー開催(終了)
- 2011/1/23
-

-
-
- 5月15日(金) 巣鴨庚申堂・大祭
- 5月24日(日) とげぬき地蔵尊例大祭




