臨済宗

臨済宗の歴史
臨済宗は、中国禅宗五家のひとつで、お釈迦さまから28代目にあたる初祖達磨大師によって中国へ伝えられました。初祖達磨大師から6代目の六祖慧能、さらに慧能から五代目の宗祖臨済義玄に引き継がれ、中国に臨済宗が開かれました。日本へ臨済宗が伝来したのは、宋時代の中国に渡り学んだ開祖栄西禅師(1141~1215)らによって鎌倉時代に日本に伝えられました。 栄西は、宋で臨済宗の坐禅を学び、帰国後、京都に建仁寺を建立し、日本に臨済宗を開きます。日本の禅宗系宗派には臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗があります。禅宗は、真理は言葉では表現できず、自らの身体を通して仏心を追体験することによって伝統を守っていきます。臨済宗という宗派は現実には存在せず妙心寺派、南禅寺派など十四の大本山と、黄檗宗に分かれており、臨黄十五派の総称となります。 江戸時代になると、曹洞宗や黄檗宗に比べて衰退していた臨済宗を復興させたのが臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師です。白隠禅師の法を嗣がれた峨山禅師から隠山惟禅師と卓洲胡僊禅師と、現在の臨済宗十四派は全て慧鶴禅師を中興としています。
臨済宗の開祖【臨済義玄禅師(りんざいぎげんぜんし)】
9世紀頃の人で現在の中国山東省の出身。当初、経論を学んでいましたが物足りず、禅宗へ転向して黄檗希運に師事し、いわゆる黄檗三打の機縁で大悟した。河北省の臨済院というお寺に住むようになった事から臨済和尚と呼ばれるようになりました。臨済院では興化存奬を初めとする多くの弟子を育てその門流はやがてに臨済宗と呼ばれるようになりました。 その宗風は馬祖道一に始まる禅風を究極まで極め、中国禅宗史の頂点を極めました。その家風は「喝」(怒鳴ること)を多用する峻烈な禅風であり、徳山の「棒」と並び称され、その激しさから「臨済将軍」とも喩えられました。 臨済義玄禅師の語録である【臨済録】は「語録の王」として、中国や日本で再三にわたって出版され、本書には、簡潔な描写の中に臨済の直截的な確信に満ちた姿が驚くべき臨場感をともなって活写されている。
臨済宗の御本尊
お釈迦様の名前は日本人なら誰もが聞いたことがあると思います。お釈迦様は現在のネパールにいた民族である釈迦族のカピラ城の王子として生まれ裕福な生活を送っていましたが、29歳のときに出家し35歳の時に菩提樹の下で悟り(覚り)を開き、その後45年間自らの悟りをを人々に伝道し、80歳の2月15日に亡くなったと伝えられています。お釈迦様が亡くなった際、頭を北にし顔を西に向けられた姿を 「頭北面西」といい現在、ご葬儀の際に故人を北枕に安置する風習はここからきています。 お釈迦様の誕生日である4月8日はどこのお寺でもお花祭りとしてお祝いし、お釈迦様が亡くなったとされる 2月15日は報恩の法要が行われます。
臨済宗妙心寺派大本山 妙心寺
京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号は「正法山」ご本尊は釈迦如来、開基は花園法皇、開山は関山慧玄(かんざんえげん)日本にある臨済宗の寺院約6,000ヶ所のうち、約3,400ヶ所が妙心寺派で臨済宗最大の宗派。
アイエムバナー