日蓮宗の歴史
日蓮聖人の生きた鎌倉時代は、お釈迦さまがなくなったあと、教のみが残り、完全な行の出来る者も証を得る者も現れない時代(末法時代)へ入っていました。日蓮聖人は鎌倉、京都、比叡山、三井、高野山、四天王寺などの諸寺に遊学し、仏教の経典をすべて読み、この時期に「法華経」が依りどころとすべき唯一の経典であると確信したのです。法華経には、お釈迦さまは遠い昔から未来まで生き、永遠にあらゆるものを救いつづける、とくに末法の人々を救う、と書かれています。日蓮聖人は、末法悪世の人々を救う法華経(妙法蓮華経・みょうほうれんげきょう)をひろめる役目が自分にあると自覚し、1253年4月28日安房国清澄寺にほど近い旭が森において「南無妙法蓮華経」の題目を初めて称えました。日蓮宗では、この日を立教開宗の日としています。日蓮聖人32歳の時のことです。その後様々な法難にあいながらも「法華経」を広めるため精力的に活動を続け、1282年、本弟子六人(日昭・日朗・日興・日向・日持・日頂)に後を託し61歳で亡くなりました。
日蓮宗の開祖 【日蓮聖人 にちれんしょうにん】
安房国(今の千葉県)に生まれた日蓮聖人は、十二歳で安房の清澄寺にて出家。安房から鎌倉、比叡山に出て、さらには禅宗、真言宗も訪ね、修行をしました。三十歳で比叡山に戻った日蓮聖人は、天台宗の根本経典である『法華経』こそが、拠り所とすべき教えであると悟ります。
日蓮聖人は容赦なく浄土教や禅宗を批判し、また幕府に対しても頑になに自説を主張したため、流罪や危うく斬首されかかるなど、様々な弾圧(法難)を受けます。しかし、日蓮聖人の他宗批判や権力に屈しない姿勢は、強力な布教効果を持ち、そのカリスマ性、予言者的性格ともあいまって、信者は続々と拡大していきました。死後、皇室より日蓮大菩薩(後光厳天皇・1358年)と立正大師(大正天皇・1922年)の諡号を追贈されました。
日蓮宗の御本尊
【曼荼羅】とはサンスクリット語のmaNDalaに由来し、原語の意味は「凝縮した」「本質を備えた」などとなります。仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像やシンボル・文字などを用いてビジュアル的に表わしたものです。
その他、仏画や物語をビジュアル化したものなどを総称して【曼荼羅】と呼んだりもしている様です。
日蓮宗の本尊である法華曼荼羅は、法華経の世界を図、梵字、漢字などで表した曼荼羅の一種で、日蓮聖人が末法時代に対応するべく、1271年に書いたものが最初といわれています。
日蓮宗の総本山
山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗の総本山。山号は身延山。
1281年に現在の久遠寺のやや西方の西谷と呼ばれる地に日蓮聖人によって開山。
1475年11世法主日朝の時、現在地に移転しました。

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